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高知家の○○

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された四国銀行・川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る

2025/12/19

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された・四国銀行 川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る


目次

1 2025年1月 プロへのスイッチが入る

2 怪我という試練と向き合って得たもの

3 夢が現実になった日

「プロを目指します」

2025年1月、チームメイトの前でそう宣言したのは、四国銀行野球部の川田 悠慎選手。

同年11月、その言葉通り「埼玉西武ライオンズ」への入団を掴み、大きな話題となった。

高知家の○○取材班が川田選手を初めて取材したのは、ルーキーとして四国銀行に入行した一年目の2024年6月のことだ。
そこから約1年半、プロへの切符を掴むまでにどんな日々があったのか。

2026年1月に高知を離れ、プロ野球選手として歩み始める川田選手にお話を伺った。

2025年1月 プロへのスイッチが入る

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された・四国銀行 川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る

宿毛市出身。小学校から野球を始め、中高大と続け、2024年4月四国銀行へ入行した。
四国銀行野球部の一員として、社会人野球での活躍を誓い、日々の練習に取り組んでいた川田選手だったが、転機が訪れたのは2025年1月だった。

亀岡洋介監督から、川田選手に関心を示している球団スカウトが試合に来ることを告げられた。

川田選手:それまでは「本当に野球って楽しい」という気持ちでプレーしていましたが、監督の話を聞いてからは「結果を残さなければ」という気持ちに変化しました。どんな練習をして、どんな結果を残せばプロになれるだろうと不安な中でしたが、絶対にプロに行くんだという覚悟をチームメイトにも伝え、一層練習に力を入れて取り組みました。

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された・四国銀行 川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る

プロの球団が注目したのは、なんと言っても川田選手のスピード。試合に出れば、毎試合のように盗塁を決めていた。

亀岡監督:足では川田の右に出るものはいません。ネックだったのがバッティングです。四国内では打率が3割でも、球速が上がった時にどこまで勝負ができるのか...そこが唯一の懸念でした。

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された・四国銀行 川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る

そんな不安を払拭したのが、2月に開催された高知ファイティングドッグスとの交流戦「越知町長杯」での活躍だ。

スカウトが訪れ、プレッシャーのかかる試合で川田選手が3ランホームランを放つ。
川田選手の長い野球人生における、初めてのホームランだった。

力が入りすぎて、とにかく無我夢中で放ったホームランだったが、その後も緊張がほぐれることなく試合は終了。
「どうなんだろう...」と慢心することなく冷静な川田選手に対して、亀岡監督は「これはひょっとするかも?」と手応えを感じていた。

怪我という試練と向き合って得たもの

順調なシーズンインを迎えた川田選手を大きな試練が襲う。

春季大会(JABA春季四国社会人野球大会)を直前に控えた3月に、利き手である右手親指を骨折。

川田選手:怪我をした時には焦りと落ち込みと...とにかくマイナスな感情しか持てなかったです。絶望というか、初めての感情でした。

落ち込んでいた時に、監督から「プロを目指すのであれば、ここでブレたらいかん」と声をかけられ、なんとか気持ちを切り替えることができたのだという。

亀岡監督:私自身も大きなショックを受けましたが、彼の前ではそれを見せることはできませんでした。この怪我で彼の夢を潰すわけにはいかない。ともに奮い立ち、次のチャンスに向けて準備を始めました。

そうして怪我を乗り越えて出場した岡山大会。亀岡監督は、怪我をした右手を保護しなければと大きな走塁グローブを急いで手配した。

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された・四国銀行 川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る

満足な練習はできず、打席はほぼぶっつけ本番だったが、途中出場した試合でなんと自身2本目となるホームランを放つ。

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された・四国銀行 川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る

川田選手:あの場面でホームランを出せたことは、メンタル面で大きな影響がありました。不安な気持ちから、やれるかもしれないというポジティブな感情を持てるようになりました。

この試合以降、亀岡監督から贈られた青い走塁グローブは川田選手のトレードマークとなっている。

怪我を経て、一つ一つの練習に丁寧に取り組むようになり、毎朝6時から監督とバッティング練習にも取り組んだ。
怪我により遠ざかりかけたプロという夢を、「まだ掴めるはず」と二人三脚でがむしゃらに追いかけた。

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された・四国銀行 川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る

写真:亀岡監督(写真左)と川田選手

夢が現実になった日

そうして迎えたドラフト会議の日。

緊張と不安で、前々日からほとんど眠れなかったそうだ。

川田選手:当日の朝は近所の神社に参拝し、午後休をとって四国銀行本店の会議室に待機していました。ドラフト会議が始まると一瞬でしたね。埼玉西武ライオンズの6位指名で私の名前が読み上げられた時には、驚きと嬉しさとで感情が迷子になってしまいました。そこから一気に力が抜けて、睡魔が襲ってきたのを覚えています。笑

仕事を終えたチームメイトも続々駆けつけ、川田選手の夢が叶ったことをともに喜んだ。

亀岡監督:小中高大と全国の舞台で目立った活躍の機会がなく、銀行員を経てプロという夢を掴んだ選手は非常に稀です。彼の存在が、たくさんの人の希望になるのではないかと思います。素直で、負けん気が強くて、そして情に厚い川田選手。怪我にも負けなかった不屈の精神で、プロでも活躍してくれることを期待しています。

川田選手:家族や同僚、そして銀行のお客さまにも喜んでいただきました。みなさんの応援の声を胸にがんばります。そして、高知で野球をしている子どもたちに夢を持ってもらえるよう、プロで結果を残し、しっかり稼ぐ姿も見せたいです。

銀行員からプロ野球選手へ 埼玉西武ライオンズに指名された・四国銀行 川田悠慎選手の異色の挑戦に迫る

プロとしての1シーズン目は、「一軍への帯同と与えられたチャンスに完璧に応えること」を目標に掲げている。

そして入場曲は、四国銀行のコンセプトソングである「bloom」にしたいと公言している。

銀行員からプロ野球選手へ。
ここから始まる川田 悠慎選手の挑戦を、心から応援したい。

文/長野春子

(提供元:【高知県公式】高知県情報のまとめサイト「高知家の○○」

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